サンフォードマイズナー10章 役を自分のものにする

今月は残業多めだったのもあり、全然こっちに時間割いてなかった。言い訳するなと言われたらぐうの音もでない。実際テニスのためのトレーニングはしてたので...。

それはさておき、サンフォードマイズナー10章。正直この章は難しいというか、読んでるだけだと直感的に理解できなかった。とりあえずマーカー引いた箇所とそこで思うことをまとめることにする。


  • 「長ぜりふの感情的な要点は普通、最後の二行にある。」
    書いた通り、長台詞の感情的な要点は、最後の二行...というか一節に集約されるということ。最後が楽しそうなのにそれまでは怒っている、という長い台詞は確かに想像しづらい。でも普通、と書いているのはどういう意味だろうか。例外がどうしても気になってしまう。。。それはさておき、長台詞を見たら、最後の一節に注目すれば、その台詞がどういう感情を帯びているかが推察できるということです。

  • 「最後の二行のせりふから感情準備をして、それから――練習のために――その長ぜりふを動機づける単純なきっかけのせりふを作るんだ。」
    長ぜりふは感情の発露で、とあるきっかけに対する回答である、ということを意識する。

  • 「君たちは長ぜりふの最後の部分から感情準備をし、その内容を自分の言葉で相手に伝えることによって、長ぜりふのリアリティをつくり、それを自分のものにするんだ」
    感情準備をしたら、内容をテキスト通りでなくていいので自分の言葉で相手に伝える。そうすることで、台詞にこもる感情が真実のものとなり、リアリティを帯びていく。テキストの台詞に沿うのは、感情面のリアリティを確立してからでよい。

  • 「最後の二行から得られるものを、最初から使う」
    最後の二行にこもる感情に辿り着くように、長台詞は話される。そして、その場合は大抵最初からその感情が発露している。

  • 「役の性格は、やることをどうやるかによって決まる」
    役を演じるとは、台詞を言うことではなく、行動を行うこと。性格は台詞の口調だけではなく、どのように行動するかに現れる。

  • 「心で拾うんだ!頭で拾うんじゃない。」
    頭で拾ったものには嘘が混じる。心で拾ったものは、真実だ。

  • 「君たちを俳優として教える中でいちばん大きな仕事は、君たちを君たち自身と向き合わせることだ。それが創造的な演技の源だ。」
    頭で考えるんじゃなく、自分自身の感情を見ろ!ってこと。


他にもマーカー引いた箇所はあるけど、大体上のどれかと同じ内容帰結するので略。というかこの章長くて難しかった...
いつか腹わたから理解できる日が来るのだろうか。来ると信じて、次は11章、いくぞー。