マイズナー12章 最終シーン

なんとか最後の章まで来た。
最後の章は具体的な作品読んでるシーンが多いので、他の章と比べて小説感が高め。 とりあえず最後までやるだけやろう。


  • 「感情準備はただシーンのはじめのためにある。」 シーンに一度入ったら、後はシーンの中で揺れる感情を使え。準備するのは感情の初期値だけ。
  • 「ヒステリー状態になるように感情準備をする。次第にセリフを勉強し、両者をあわせる。」
    ヒステリー云々はわからんが、感情準備を磨いてから、セリフを覚える•学ぶということだろうか。感情を先に持て、何かが起こるまで何もするな。それがマイズナーのこれ迄の話ではある。
  • 「やろうとすることを、本当にやる」「役の特徴をよく見なくてはならない」
    最初は演技の基本中の基本。本当にやらなければならない。演技をするとは、演技をしないこと。なんか逆説的だけど、そういうこと。そしてそのためには、事実だけでなく、役の特徴をよく見ないといけない。でも、役の特徴を見るとは、どういうことなんだろう?
  • 「シーンは、君を感情的に刺激する装置だ」
    理屈じゃなくて、本能でやる。シーンは感情を刺撃する。その刺激に、感情で反応する。理論ではなく。
  • 「どうして前の方がよかったんだろうと、考えるな。」
    何故かと言うと、考えても決してわからないから。上手くいくときもあれば、上手く行かないときもある。それが演技。それが人生。
  • 「いつも休まず演じ続け、あらゆる種類の芝居をやることだ。自分に合っているかいないかはかまわない。」「技術の基礎から離れるな。」 マイズナーの最後の助言。これらの言葉を、いつも心の片隅に。

以上、サンフォードマイズナー終わり。最後まで走り抜いたことに、今は価値がある。少しは理解できた...かな?少なくともあと19年はかかるはず。死ぬ方が早いかもしれんが、どこまでいけるだろうか。まあ、悪くないチャレンジではある...

マイズナー11章

7月はすっかりだらけてしまった。筋トレやテニスも少し疲れてた。8月は。。。さらにだらけた。ゲームばっかりしている。でも夏季休暇に少し読書したこともあってか、前よりは活字が読めるようになった気がする。というわけで、マイズナー11章読んだときのメモ。


  • 「句読点は感情的なものだ。文法的なものではない。」
    確かに、声に出して読み上げるものの句読点が示すものは文法ではない。音楽的な間だ。それによって示されるものは何か?その人物の感情だ。
  • 「批判されないと演技を学ぶことができないということと、自分は価値がないという思いを一緒にしてしまうとき、問題が起こる。」
    この直後にも書いてあるように、批評は自分の演技にだけ向けられているのだと、客観的に捉えないと自分を殺してしまうことになる。批評家様は、舞台の上ではさぞものすごい名優なんでしょうなあ、ってね。しかし、やはり批判されないと演技というものは学ぶことができないのだろうか?そうだとしたら...辛い。だが批判の中に演技を学ぶものが埋まっているのなら、上手く痛みを避けながら取り出す必要がある。。。そうだろう?
  • 「テキストを読むとき、最初にしなければいけないことは、自分を見つけることだ。」 役と自分のベクトルを比べ、共通する部分を見つける。そこを足がかりに、自分を役に近づけていくのだ。知性ではなく、感情、腹の底の部分で役に近づいていくのだ。
  • 「演技とは、想像上の状況の中で生きることだ。」
    演技とは、演じることじゃない。生きること。必死に、一生懸命に。
  • 「台本の中の役の名前の下にある、カッコに入れられた小さな言葉、たとえば(柔らかく)、(怒って)、(懇願するように)、あるいは(努力して)、などは読者の助けにはなるが、俳優たちの助けにはならない。いますぐ、線で消してしまうことだ。」
    舞台の上では自然に物事が進む。作為的ではない。だから、こんな感情的な指示は消して、そのときの本能を信じろ。優れた脚本家なら、きっと指示のような感情が自然に発生する。

かつてワークショップで習った内容が出てくる。ちょっと感激。一方でますます演技とは何かわからなくなる気もする。ただひたむきに、嘘をつかず正直に、これが第一に意識することかもしれない。
「なぜ芸術家たちは、自分がそのために生まれてきたことを始めるのだろう。彼ら自身さえわからないんだ。ただ、彼らの中にある要求に従うだけだ。」 教え始めた理由を聞かれたマイズナーの言葉だが、なんとなく演技のイメージもこれに見える。舞台の上の役者も、ただ自分の中にある衝動に従うだけ。。。

サンフォードマイズナー10章 役を自分のものにする

今月は残業多めだったのもあり、全然こっちに時間割いてなかった。言い訳するなと言われたらぐうの音もでない。実際テニスのためのトレーニングはしてたので...。

それはさておき、サンフォードマイズナー10章。正直この章は難しいというか、読んでるだけだと直感的に理解できなかった。とりあえずマーカー引いた箇所とそこで思うことをまとめることにする。


  • 「長ぜりふの感情的な要点は普通、最後の二行にある。」
    書いた通り、長台詞の感情的な要点は、最後の二行...というか一節に集約されるということ。最後が楽しそうなのにそれまでは怒っている、という長い台詞は確かに想像しづらい。でも普通、と書いているのはどういう意味だろうか。例外がどうしても気になってしまう。。。それはさておき、長台詞を見たら、最後の一節に注目すれば、その台詞がどういう感情を帯びているかが推察できるということです。

  • 「最後の二行のせりふから感情準備をして、それから――練習のために――その長ぜりふを動機づける単純なきっかけのせりふを作るんだ。」
    長ぜりふは感情の発露で、とあるきっかけに対する回答である、ということを意識する。

  • 「君たちは長ぜりふの最後の部分から感情準備をし、その内容を自分の言葉で相手に伝えることによって、長ぜりふのリアリティをつくり、それを自分のものにするんだ」
    感情準備をしたら、内容をテキスト通りでなくていいので自分の言葉で相手に伝える。そうすることで、台詞にこもる感情が真実のものとなり、リアリティを帯びていく。テキストの台詞に沿うのは、感情面のリアリティを確立してからでよい。

  • 「最後の二行から得られるものを、最初から使う」
    最後の二行にこもる感情に辿り着くように、長台詞は話される。そして、その場合は大抵最初からその感情が発露している。

  • 「役の性格は、やることをどうやるかによって決まる」
    役を演じるとは、台詞を言うことではなく、行動を行うこと。性格は台詞の口調だけではなく、どのように行動するかに現れる。

  • 「心で拾うんだ!頭で拾うんじゃない。」
    頭で拾ったものには嘘が混じる。心で拾ったものは、真実だ。

  • 「君たちを俳優として教える中でいちばん大きな仕事は、君たちを君たち自身と向き合わせることだ。それが創造的な演技の源だ。」
    頭で考えるんじゃなく、自分自身の感情を見ろ!ってこと。


他にもマーカー引いた箇所はあるけど、大体上のどれかと同じ内容帰結するので略。というかこの章長くて難しかった...
いつか腹わたから理解できる日が来るのだろうか。来ると信じて、次は11章、いくぞー。

サンフォードマイズナー9章

亀の歩みだけど、細々9章 短い章だが、正直よくわからんかった


「せりふは君たちの手強い敵だ」 「演技とは、感情の創造だ。想像上の状況を真実に生きることによって、感情を創造する」

台詞と感情を結びつけない。ってのが大事だと思っているが、感情準備ってそこと若干矛盾しないかな...と、書いていてふと思った。まあ台詞というより状況に合わせて感情準備はするものなのかな。点というより面•空間に感情を合わせる。その空間の中で生まれた感情を使って台詞を言う。台詞という点のために感情を温めるのではない。

まあそれはさておき。ときには、その状況をそのまま当てはめると、生来の自分の感情と呼応しないときはどうしてもある。そこで使うのが特殊化、「まるで...のように」というテクニック。自分の感情を呼び起こす、類似の何かで状況を代替する。同型写像で写した自分向けのもので考える、って感じ。

そう、この章がよくわからんってなるのは、この特殊化の具体的な例がわからなかった。一応書いてあったとは思うんだが、なんかピシッと理解できず。 うーむ。まあ実際に演技を経験していくなかでわかると信じよう。

その他メモ

•「役の研究はシーンの基本的なリアリティが達成されるまで待たなければならない。それによって、やりすぎることや、決まりきったやり方に落ち込むことを防ぐことができる。」
そもそも役の研究って何したらいいんやろ...とか基本的なリアリティが達成っていうのはどういう風に判断するんだろう...とか思うところはある。でも型にハマったありきたりな「演技」になるとダメってことは覚えときたい。


とりあえず9章のメモは以上。
もうちょっと読むペース上がりませんかねえ。
まあ読んで進んでるだけでもえらいということで。

サーシャ•バイン 「心を強くする」

ソフトテニスやってると自分にブチ切れてしまう癖があるので、アンガーマネジメントの本探すときに買った本。大坂なおみとかセリーナのコーチしてたサーシャバインという人が書いたらしい。自分はプロアスリート出されると弱いが、それがテニスならもっと弱い。まあ実際に本人が書いたかは知らないが。ゴーストライターだとしてもアスリート系の本は好きで、この本もまあ気に入った。なんというか、すっごく面白いことが書いてあるとかじゃないけれど、プロのテニスコーチの言葉という装飾をつけると説得力が違う。本を読むというより、コーチが自分に向けた言葉、みたいに思い込むことで、実践できる度合いが一気に上がる。自分もコーチみたいな人がいればなあと思うので、この本をコーチ代わりにしようとか思ったり。もし自分が億万長者になったら、個人トレーナーつけて色々教えてもらいたい。

以下、好きな箇所とメモ


•「日頃の小さな決断で、あえて『面倒な方』を選んでおく」

この本で自分が一番見返した言葉。疲れてると勉強•筋トレはおろか食器洗いやシャワーもサボったり後回しにしがちなので、ずっとこれを頭に反芻してる。このページに常に栞を挟んで、できるだけ毎日見て、心と体に刻み込みたい。少なくとも最近は効果があって、洗濯とか食器洗い、プロテインの準備なんかもサボらず毎日やれている。この調子この調子。

•「『ごめんなさい』をNGワードにする」

よく見返す箇所その2。自分はすぐごめんなさいっていうし、つい自分が悪いと考えがち。とにかく自分が正しいっていう人間は糞だが、自分はもうちょっと自分が正しいと思うようにした方がいい。あとソフトテニスに関していえば、この精神は超大事だと思う。せいぜい7ゲーム、早ければ4ゲームで終わるんだから、ごめんなさいなんて言ってる暇はない。ミスも全部OKと思って、ひたすら行くしかないのだ。

•「迷ったら、『絶対に自分ファースト』でいい」

よく見返す箇所その3。2個めと同じで、自分は我を通す力がとにかく弱いから、こういう補助輪をとにかく使って、そういう箇所を鍛えたい。臆病なのは、優しいことではない ちゃんと自分も大切に。

•「『この作業を続けていると、いずれは飽きる』ということを前もって頭に入れておく」

自分は意志が弱いので、大抵のことは長続きしない。上の言葉でいいと思うのは、プロのテニスプレーヤー達の世界でもトレーニングには飽きることがある、っていうのがわかること。彼らは自分より遥かに意志が強いだろうけど、それでもどこかで飽きてしまうから、そうならない工夫がいるのだろう。努力に飽きたりうんざりすることを否定する必要はない。そう、飽きていい。そのうえで、上手くモチベをリフレッシュしよう。


書き出すと延々と長引きそうなので、この辺で。

最後に一つ、この本で好きなところがあって、主に言及されるのは大坂なおみだけど、ちょくちょくセリーナのエピソードも混じること。大坂なおみ以外のコーチもしてきた人なので、色んな世界が垣間見える。この本で一番面白いのはテニス選手の実際のエピソードが交じるときで、それが大坂なおみだけに限らないから、ただのヨイショ本って感じが薄れてるのがいい。

以上、サーシャ•バインの「心を強くする」でした。

読書のアウトプット サンフォードマイズナー 8章

とりあえずここをアウトプットに使おう。 更新されずに放置されてるSNSほど、寂しいものはない。

サンフォード•マイズナー•オン•アクティングの8章、「続•感情準備」。読みっぱなしだと読んだ実感も湧きにくい。あまり仕事というワードは使いたくないが、何かするならそのアウトプットは明確にするに限る。 それはさておき。以下自分のメモ。


「せりふは一艘のカヌーのようだ」 「そして、カヌーの下を感情の川が流れる。せりふは川の上に浮かんでいる。もし川の水が激しく流れているとしたら、言葉は急流のカヌーのように出ていく。すべては感情の川の流れ次第打。せりふは感情の状態の上に乗っている。」

冒頭のこの言葉。俳優さんのワークショップでよく聞いた「感情の川」ってやつの由来はここなのだろうか。そのちょっと後に「君がここはこうだと考えた感情と関係づけて、せりふを覚えてはいけない。」という言葉がある。そのシーンの中で、自分に自然と湧き上がる感情を使え、ということだろうか。作り物ではなく、本物の感情を。そして、本物の感情をシーンの中で産むために感情準備が必要になる。

感情準備について、大げさなものを用意する必要はない。機嫌がいい状態を準備するとは、ヒステリックに喜ぶ状態になっておくことではない。ただ小さなものでいい。そのシーンに必要な感情にベクトルの向きを揃えていく、というイメージだろうか。ベクトルの向きは準備して揃えておく。ベクトルの大きさは?それは準備するのではなく、芝居の中の状況が与えてくれる。感情の小さい種火を持っておけば、状況がそれを大きな火にしてくれる。そういうことじゃないか。

「想像上の状況の中に存在するものに感応する人間となれ。演技をしようとするな。演技は自然にされるんだ。」演技をしようとするな。いい演技をしたかったら、演技をしようとしないこと。逆説的というか、なんというか。

とにかく、演技をしようとするな。感情の流れにまかせろ。そして相応しい感情が流れるよう、感情準備をするのだ。 しかし、どうすれば適切な感情準備ができるのか、成功率を上げるためのコツは何なのか。 そこはちょっと読み取れなかった。 またおいおい考えよう。

その他Tipsのようなこと

•演技において、よい結果を出そうと頑張るのはよくない。自然体に、自分の感情に任せた方が、演技はうまくいく。うまくやろうとすると演技は「演技」になるが、自然体なら演技は「リアル」になる。

•「何かが起こるまで何もするな」これも上に通じるものだ。自分の感情を無理にひけらかそうとしてはいけない。ただ、感情が、本能がそうだと言ったときに行動する。「俳優はみんな自己露出家だ」でも、露出狂ではダメ、ということらしい。見せる節度は持たねばならない。

•「できるだけ多くのせりふを覚えろ。なぜなら、次のせりふについて考え始めると、感情の流れが止まるからだ。」せりふは覚えるに越したことはない。少なくとも、それが目の前の状況に集中する妨げとならないようにしておこう。

復活させようかしら

もう何年も放置してたこのブログ この記事だけかもしれないけど、復活させようかしら

Twitterばっかりやってるけど、延々と独りで書き続けるならブログの方が優秀だ

それに、ずっと更新されないSNSほど寂しいものはない。。。

まあ今日は書くネタが特にないんだが。 さっき紙のノートに書いたし。 ただ書くだけなら確実にスマホで書くこっちの方が早いし量も書ける。 スマホでも、手で書くのと同じくらい気持ちがすっきりするかどうか。 それも確認だ。